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人生はエビフライ♪

片目のジャック

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片目のジャック』 (One-Eyed Jacks)1961年・アメリ
 
監督:マーロン・ブランド 脚本:ガイ・トロスパー 、 カルロ・フィオーレ 、 カルダー・ウィリンガム 
原作:チャールズ・ニーダー 製作:フランク・P・ローゼンバーグ 撮影:チャールズ・ラング 
美術:Mac Johnson 音楽:ヒューゴー・フリードホーファー 編集:Archie Mar 助監督:Chico Day
出演:マーロン・ブランドカール・マルデンカティ・フラード、ピナ・ペリサー、スリム・ピケンズ、
ベン・ジョンソン、サム・ギルマン
 
 
 この 『片目のジャック』 は、最近映画監督のテリー・ギリアムが、自身の人生と作品に影響を与えた映画のうちの1本にあげている作品で、「人は嫌うが自分は好きな映画」 という妙な評価を与えていますが、本当にヘンテコリンな映画です。
 
 実はこれ、へそ曲がりの名優マーロン・ブランドの唯一の監督作品で、もちろん主演も本人。しかもなんと西部劇!ブランドが演じる役どころは、『欲望という名の電車』 のスタンリーと『波止場』 のテリーを合わせたような不思議なキャラクターで、こういう風に書くとなにやら強烈で個性的な人物を思い浮かべるとおもいますが、それぞれのキャラクターが全く融合できずに水と油のように分離してしまっているつかみどころのない人物になっています。
 
 ブランドが意図していたものは映画を観ればものすごくよく分かるには分かるのですが、それが作品として全く昇華されておらず、おまけに西部劇なもんで、完全に持て余してしまっているのがよく分かるのです。私の邪推ですが、ブランドはこの作品を撮ったことで監督業の難しさというか自分には向いてないということを悟ったんじゃないでしょうか?その証拠にこの後彼の監督作は存在していないわけですから…。
 
 しかし、これはテリー・ギリアムでなくっても絶対に観るべき映画であることは間違いありません。この映画は、作品を鑑賞するのではなく、マーロン・ブランドという不世出の名怪優を堪能するためにあるのです。マーロン・ブランドという人はまさにこの映画の主人公のように本来同居しえないキャラクターが不思議なことに同居してしまっている特異な人物なのでしょう。あるときはクラウス・キンスキーのように見え、またあるときはルトガー・ハウアーを彷彿させ、ブランドが後の映画界に与えた図りしえない絶大な影響の一端を見ることができるのです。そう、時が経てば経つほどにこの映画の面白味は増していくのでしょう。
 
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映画のストーリー(結末の記載を含むものもあります。)Movie Walker より
1880年のメキシコ。リオ(マーロン・ブランド)とダッド・ロングワース(カール・マルデン)の2人組は銀行破りを働いて追われ、砂塵激しい山の頂きにおいつめられた。馬が1頭追手の弾丸に倒れ、ダッドが代りの馬をつれてくる約束で1人山を下りていった。しかしダッドは金袋をもって逃れ再び帰ってこなかった。捕らえられたリオは監獄に入れられた。数年後、リオは気の合ったモデストと共に脱獄に成功した。そして酒場で偶然知り合ったボッブとハーベイという悪漢2人組とつれだって、一行4人でカリフォルニアに向った。一仕事しようというモントレイの町――そこはかつてリオを裏切ったダッドが保安官をやっていた。目の前に現れたリオを見て、ダッドは顔色を変えた。しかしリオはもう過去のことは忘れたといった。ダッドはリオに妻マリアと彼女の連れ子である娘のルイザ(ピナ・ペリサー)を紹介した。ルイザはリオにたちまち心ひかれた。翌日は、モントレイの祭の日だった。リオはルイザを浜辺につれだし、2人はここで結ばれた。そのあとでリオは実はルイザを愛してはいないのだといって彼女をつきはなした。あくる日、リオはテトリーというならず者にけんかを売られ、彼を射殺した。これをタネにダッドはリオを鞭打って指を傷つけ、町から追いはらった。3人の仲間とともにリオは漁村に身をひそめ傷をいやした。傷がすっかり治った時、リオは本格的復讐に立ち上がった。しかし訪ねてきたルイザの純真な心が彼を本心にたちかえらせた。その頃、ボッブとハーベイの2人組はモデストを殺して銀行破りをやり、罪をリオになすりつけて逃走した。そのためリオは捕らえられた。が、逃れ出たリオはダッドを撃ち殺し、ルイザに接吻すると、砂丘のかなたにたち去っていった。