ちゃーりーはかめのぶろぐ

人生はエビフライ♪

絶対観るべき映画!『ニーチェの馬』

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(A torinói ló)2011年・ハンガリー

監督:タル・ベーラ、アニエス・フラニツキ 脚本:タル・ベーラ、クラスナホルカイ・ラースロー
製作:テーニ・ガーボル 音楽:ヴィーグ・ミハーイ 撮影:フレッド・ケレメン
編集:アニエス・フラニツキ 出演:ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ




冒頭の、暴風が吹きすさぶの中を
老人が駆る馬車が疾走するシーンでもう圧倒されてしまうのです!
のっけからただならぬ状況へ強引に連れ込まれ
そのままラストまで引きずられっぱなし
2時間半今日の上映時間はかなり長いのですが
観客も高い緊張感を維持せずにはいられない


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もちろん、ニーチェの馬がその後どうなったか?
という話ではありませんが
映画全編を貫くニヒリズムはまさしくニーチェ

そして驚異的な長回し
何か超人的なもの(神?)の視線を思わせるカメラアングルが
宗教的重々しさを醸し出しています

登場人物は、右腕が麻痺している年老いた父親と娘のほぼ二人だけ
舞台も、ほぼ、二人が生活している粗末な部屋のみ
二人は何百日か何千日かずーっと続けてきた毎日寸分違わぬ営みを
黙々とこなしているのですが、映画の6日間では
毎日少しずつ何かが変化し、そのため何かが出来なくなる
でも二人はその穴埋めをすることができない!
そしてついには何一つできなくなってしまう!
そして7日目はない…

象徴的なのは4日目のエピソードで
井戸の水が枯れてしまい、生存の危機を迎えた二人は
長年住み慣れた土地を離れることを決意し
荷物をまとめて荷車に乗せ、馬を連れて家を出ます
ところが丘を越えた二人は引き返してきてしまう
二人が何を見たのかは分かりませんが
引き返した方がマシであると判断したことは間違いない

限られた選択肢の中で
究極の選択を迫られたとき人はどうするか?
最重要のテーマだと思いました


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ストーリー(ウィィペディアより)
1889年1月3日。哲学者ニーチェトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首をかき抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られて穏やかに過ごしたという。 馬のその後は誰も知らない。
   *  *  *  *  *
一日目
農夫は馬車に乗り、風の中、人里離れたと思しき家に戻る。娘は彼を出迎え、農夫は馬と車を小屋に戻す。娘は農夫の服を着替えさせ、二人で茹でたジャガイモ1個の食事を貪る。寝る段になって、農夫は58年鳴き続けた木食い虫が鳴いていないことに気付く。外は暴風が吹き荒れている。
二日目
娘は井戸に水を汲みに行く。パーリンカ(焼酎)を飲んだ後、農夫はいつもの通り、馬車に乗って外へ出ようとしたが、馬は動こうとしない。諦めた農夫は家に戻って薪を割り、娘は洗濯をする。ジャガイモを貪ったところで、男が現れ、パーリンカを分けてくれるように頼む。町は風で駄目になったという男は、世界についてのニヒリズム的持論を延々述べるが、農夫はくだらないと一蹴する。男はパーリンカを受け取って出て行く。
三日目
娘は井戸で水を汲む。パーリンカを飲み、農夫と娘は馬小屋の掃除をする。新たな飼い葉を与えたが、馬は食べようとしない。ジャガイモを貪っていたところで彼らが何気なく外を見ると、馬車に乗った数人の流れ者が現れ、勝手に井戸を使い出した。二人は外へ飛び出して流れ者共を追い払い、流れ者は二人を罵って去っていく。食器を片付けた後で、娘は流れ者の一人が水の礼として渡した本-教会における悪徳について述べているらしい-に目を通す。未だ風は激しく吹き続けている。
四日目
娘が水を汲みにでると、井戸が干上がっていた。馬は相変わらず飼い葉を食べず、水も飲もうとしない。農夫はここには最早住めないとして、家を引き払う事を決める。荷物をまとめ、馬を連れて-ただし、今度は自分で車を引いて-農夫と娘は家を出て進み出す。だが、丘を越えたところで、彼らは戻ってくる。娘は窓から外を何も言わず見続ける。
五日目
娘は目覚めた農夫を着替えさせる。農夫は小屋に行って、馬の縄を外してやる。二人はジャガイモを貪るのも力なく、農夫は殆どを残してしまう。夜になったが、ランプに火が付かなくなり、火種も尽きてしまう。嵐は去っていた。
六日目
農夫と娘が食卓についている。農夫はジャガイモを生のまま口にするが、すぐ諦めてしまう。二人を沈黙が支配する。




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タル・ベーラ監督のインタビュー↓(とても面白いです!興味のある方はどうぞ)